魅力もポテンシャルも大きい街 「もっと胸を張り、外に向けて自慢していい街ですね」

井上 広法さん(浄土宗 光琳寺 副住職)

宇都宮市内にある浄土宗・光琳寺の副住職を務めるかたわら、メディアでも活躍。また企業の人材育成も手がけている。

所在地
宇都宮市出身・在住
宇都宮 京都 宇都宮・京都

ダブルプレイスの仕方

大学を機に、京都に住んで佛教大学で学ぶ。現在は光琳寺と、東京・恵比寿の一般社団法人寺子屋ブッダを拠点に活動。

  • 医者をめざしていた少年時代

    宇都宮市内、もみじ通りを西に進んだところにある古刹、光琳寺。創建は室町時代に遡ることができる、浄土宗の寺だ。境内には戊辰戦争で命を落とした人たちの墓があり、在りし日の宇都宮の歴史を伝えてくれる貴重な場所ともなっている。
    この光琳寺の副住職、井上広法さんは、マスコミにも登場し、寺にとどまらず全国的な活動をされている。現代における、人々の心のよりどころとしての新しい仏教の形を追い求めている、若い副住職だ。
    「生まれも育ちも宇都宮」という宮っ子僧侶の井上さん。生まれた時から寺を継ぐことが期待されていたが、中学~大学生までは僧侶になるのが嫌だったという。
    「実は、中学を卒業した後に1年間、高校に行かなかったのです。将来の進路も決まっていないのだから、高等教育を受ける必要はないと考えて。1年かけて『医者になろう』と決心し、那須にあった全寮制の中高一貫校に入学しました。大学受験の時も、もちろんめざすのは医学部。ところが受験に失敗したものですから、親の手前もあり、京都にある佛教大学に入学しました。でも、その後も隙あらば医大に入ろうと思っていたので、仏教の勉強にはあまり身が入りませんでした」

  • 二度の衝撃と仏教者としての目覚め

    現在の活躍ぶりを見ると、さぞかし若い頃から仏の道を歩んで―と思ってしまうが、いわば普通の若者らしい迷いを、井上さんも体験されていたのだった。「だって、茶髪でロンゲでしたもの」と井上さんは笑う。そんな普通の若者が、なぜ僧侶になることを決めたのだろうか。
    「大学生の春休みに祖父が亡くなったんです。遺品を整理していたら、私が幼稚園児だった時に祖父にあげた手紙が出てきました。『大きくなったら立派なお坊さんになります』と書いてあるんです。それを——よほどうれしかったのでしょう、とても大切にしまっていました。それを見つけた時、これはお坊さんにならなければいけない、と強く思いました」
    それから改めて仏教の勉強を始めたという井上さん。やってみれば、どんどん世界が広がり、仏教のすばらしさを体感したという。ところがそんな井上さんを、再び大きなショックが襲った。
    やはり大学時代のことだ。寺の法要に精神科医を招いて話していただいたことがあった。その直後、母親を亡くしたばかりの若者から「心のケアのための治療を受けたいので、あの精神科医を紹介してほしい」と相談を受けたという。井上さんは、仏教が若者の心のよすがになっていないことに気づき、大きな衝撃を受けた。「どうしたらいいのか」という疑問が、現在の井上さんにとっての第2のスタートラインとなった。

  • 寺の外での活動が広がる

    大学を卒業した井上さんは副住職として父とともに寺の務めを果たしつつ、改めて大学へ入学し、臨床心理学を学び始めた。「グリーフケア(死別などの悲しみのためのケア)を学びたかったのです」と井上さんは話す。仏教の勉強だけでは、今に生きる宗教としての仏教を形作ることはできない——そう考えた井上さんの決断だった。「もともと、お寺に関するさまざまなことを、すべて一度見直し、現代の社会に合わせて再構築しないといけない、と感じていました。お寺のあり方や活動のやり方も含めて、すべて」。特に3・11以降は、強く感じてきたという。
    「先の見通せない、不安な時代ですが、日本人にとって精神的な骨格はやはり仏教だと思います。臨床心理学を学んでいる時から『仏教をもっと現代風に解釈し直せば、現代に生きるわれわれにとっての道しるべになる』と確信していました。とはいえ、従来のやり方では、難しいでしょう」
    やがて井上さんは、同じ思いを持つ僧侶たちと「hasunoha(https://hasunoha.jp/)」という悩み相談サイトを立ち上げ、寺に留まらない活動へと足を踏み出した。その時に出会ったのが、現在の井上さんにとって活動の中核のひとつとなっている「寺子屋ブッダ」だった。お寺を地域の学校に、というテーマを掲げ、地域の中に生きるお寺の姿を求める「寺子屋ブッダ」に加わったことで、井上さんの活動範囲はさらに広がっていった。

    現代社会に生きる人の心に届く仏教を追い求める井上さん

  • マスコミへ登場、活動の拡大へ

    2014年には、爆笑問題が司会をする深夜番組「言いにくいことをはっきり言うTV」に出演した。それを契機にテレビとの関わりを持つようになって、「お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺」(2014 年9月〜2017 年2月)では企画やコーディネート、出演などを手がけた。
    「もともとは仏教やお寺について広く知っていただきたくてテレビに出たのですが、私のネームバリューも上がり、その後のいろいろな活動に大きなプラスになりました。現在は仏教のワークショップや、企業研修事業など、さまざまなことにチャレンジしています」
    現在も井上さんは多忙な日々を送っている。ワークショップは最低でも月に1回、恵比寿の「寺子屋ブッダ」で行っている。また、その「寺子屋ブッダ」の役員としての務めもある。企業研修については、昨年度に人材派遣会社と共同で研修事業を立ち上げ、そこで全体のコンセプト作りなどを行っている。もちろん、井上さん自身も講師としてさまざまな企業へ赴いている。「1週間のうち、光琳寺にいられるのは数日ということがほとんど」という。
    もちろん、光琳寺を蔑ろにはしていない。毎月1度「朝活・ラヂヲ体操・朝参り」と題して、境内や本堂でのラジオ体操や念仏、法話などを行い、仏の道や人の生き方などについて、人々と同じ目線で語り続けている。

    月1回行われている「朝活・ラヂヲ体操・朝参り」

  • 若者たちのリノベーション活動にも期待

    若い頃京都で過ごした井上さんは、京都の良さを「いつ戻っても風景が変わらないところ」と話す。「若い人が古い建物を使って新しいことに挑戦する風土があります。見た目は古い街ですが、内容は常に活性化している。それが京都のすばらしさです」
    宇都宮でも、光琳寺のあるもみじ通りなどで、徐々に「若者を中心としたリノベーション活動」が活発になってきている。井上さんも、そうした動きに大きな期待を寄せている。
    「宇都宮市には大きな魅力もポテンシャルもあります。たぐいまれな地方都市、と言っていいでしょう。ちょっとでもきっかけがあれば、おおきく羽ばたけるポテンシャルがあると思います。ただ、ともすると『栃木なんて』『宇都宮なんて』と下を向いてしまう。もっと胸を張って自慢していい街です」

宇都宮の「イイトコロ」をひと言でまとめると

宇都宮は、何かを始めたい人にとってはまさにうってつけ。競合相手がいないので、存分に腕を振るえます。

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